2009年06月18日

抗不安薬(こうふあんやく、minor tranquilizer)

抗不安薬(こうふあんやく、minor tranquilizer,antianxiety drugs)は、マイナートランキライザーとも言い、精神疾患に使われる向精神薬の一種である。弱い安定剤と言われている様に抗精神病薬と呼ばれるメジャートランキライザーと比べても作用や副作用は弱い。

抗不安薬には、脳神経に作用し、不安(恐怖)・緊張といった症状を緩和させる作用がある。睡眠時の緊張を緩和させる事から睡眠薬として利用される場合もある。パニック障害、不安障害、ストレス障害(PTSD、急性ストレス障害)など不安をともなう疾患に多く利用されている。また、症状によっては内科などでも処方され、手術の麻酔前に投与されることがある。

現在、日本国内において一般的に利用される抗不安薬は、ベンゾジアゼピン系とチエノジアゼピン系に分類されるものがほとんどである[1]。

ベンゾジアゼピン系は以前によく使われていたバルビツレート系に比べ安全性が高く、副作用も比較的少ない。しかし、乱用すれば依存性が生じる恐れがあるため専門医による処方が必要である。特にデパスなど「短時間作用型」に依存性が高い傾向が見られ、メイラックスに代表される「超長時間作用型」では、依存性や禁断症状が少ない。

短時間作用型
エチゾラム(商品名:デパスなど)チエノジアゼピン系。睡眠薬として出される場合もある。
クロチアゼパム(商品名:リーゼなど)チエノジアゼピン系。
フルタゾラム(商品名:コレミナール)ベンゾジアゼピン系。
トフィソパム(商品名:グランダキシンなど)ベンゾジアゼピン系。
中時間作用型
ロラゼパム(商品名:ワイパックスなど)ベンゾジアゼピン系。
アルプラゾラム(商品名:ソラナックス、コンスタンなど)ベンゾジアゼピン系。
ブロマゼパム(商品名:レキソタン、セニランなど)ベンゾジアゼピン系。
長時間作用型
クロキサゾラム(商品名:セパゾン)ベンゾジアゼピン系。
フルジアゼパム(商品名:エリスパン)ベンゾジアゼピン系。
ジアゼパム(商品名:セルシン、ホリゾンなど)ベンゾジアゼピン系。
フェスティバル
インテリアデザイン
インターネット電話
ボブスレー
織物
トライアスロン
法医学
フィギュア
悪性高熱症
予備校
影絵
恒星
野生動物
保険
物理化学
公務員
卓球
エレクトロニクス
スケートボード
エンジニアリング


クロナゼパム(商品名:ランドセン、リボトリール)一般的には抗てんかん薬として使われる。
メダゼパム(商品名:レスミットなど)ベンゾジアゼピン系。
クロラゼプ酸二カリウム(商品名:メンドン)ベンゾジアゼピン系。
クロルジアゼポキシド(商品名:コントール、バランスなど)ベンゾジアゼピン系。
オキサゾラム(商品名:セレナールなど)ベンゾジアゼピン系。
メキサゾラム(商品名:メレックス)ベンゾジアゼピン系。
超長時間作用型
プラゼパム(商品名:セダプラン)ベンゾジアゼピン系。
ロフラゼプ酸エチル(商品名:メイラックスなど)ベンゾジアゼピン系。
フルトプラゼパム(商品名:レスタス)ベンゾジアゼピン系。
その他
クエン酸タンドスピロン(商品名:セディール)アザピロン系 セロトニン5-HT1A受容体作動薬

副作用 [編集]
大半の抗不安薬はベンゾジアゼピン系であるために、ベンゾジアゼピン系特有の副作用がある。比較的安全と言われているが、アルコールとの併用は奨められておらず、ベンゾジアゼピン受容体の作用でベンゾジアゼピン健忘を引き起こす副作用がある薬剤もある。眠気を誘発するため、自動車の運転などと言った危険を及ぼす作業などは避けるべきである。また長期の服用で依存や急な断薬による離脱症状を起こす場合があるため注意が必要である。ベンゾジアゼピン系の抗不安薬でまれにうつ病を悪化させることがある。

2009年06月01日

ラマルク以降の進化論

イギリスの解剖学者ロバート・グラントはラマルクの「種の変化」学派の影響を受けた。グラントに影響を与えたもう一人、エティエンヌ・ジョフロア・サンティレールは様々な動物の解剖学的特徴の相同性やボディプランの類似を論じ、これはキュビエとの間に激しい論争を引き起こした。グラントは種の変化と進化についてエラズマス・ダーウィンとラマルクの考えを証明するために海洋生物の解剖学の研究を行い権威となった。ケンブリッジ大学の若い学生であったチャールズ・ダーウィンはグラントに加わって海洋生物の調査を行った。1826年に匿名の記事がラマルクの進化思想を称賛した。このとき初めて現在的な意味で「進化」が使われた。

1844年にスコットランドの出版業者ロバート・チェンバースは匿名で『創造の自然史の痕跡』を出版した。これは幅広い関心と激しい論争を引き起こした。この本は太陽系と地球の生命の進化を提案した。彼は化石記録が人間に繋がる上昇を示しており、他の動物は主流を外れた枝だと論じた。進化が定められた法則の発現であるとする点でグラントのより過激な唯物論より穏やかであったが。人間を他の動物と結び付けたことは多くの保守派を激怒させた。『痕跡』に関する公的な議論は進歩的進化観を含んでおり、これはダーウィンの認識に強く影響した。キュビエは種が不変であると主張し続け、ラマルクとサンティレールを攻撃した。キュビエの主張と科学的地位の高さは「種の不変性」が科学界の主流でありつづける助けとなった。

イギリスでは自然神学が力を持ち続けていた。ウィリアム・ペイリーの時計職人のアナロジーで有名な『自然神学』は一部はエラズマス・ダーウィンの種の変化に対して書かれた。地質学者は自然神学を受け入れており、バックランドやアダム・セジウィックはラマルク、グラント、『痕跡』の進化思想を攻撃した。聖書の地質学を批判したライエルも種は不変であると考えていた。ルイ・アガシーやリチャード・オーウェンのような思想家も種は創造主の心を反映しており不変だと考えていた。彼らは化石記録と同様に、発生パターンの種間の類似性にも気付いていたが、神の行為の一部だと考えていた。オーウェンは相同性の研究から神が創造した「原型」が一連の類似種を生み出すのだと考えた。ダーウィンはオーウェンの相同性の研究を自分の理論の発展に用いた。『痕跡』が引き起こした論争は考えの性急な公表を思いとどまらせた。

チャールズ・ダーウィンは、1831年から1836年にかけてビーグル号で地球一周する航海をおこなった。航海中に各地の動物相や植物相の違いから種の不変性に疑問を感じ、ライエルの『地質学原理』を読んだ。そして地層と同様、動植物にも変化があり、大陸の変化によって新しい生息地が出来、動物がその変化に適応したのではないかと思った。1838年にマルサスの『人口論』を読み自然選択説を思いついたと自伝には書かれている。ハトの品種改良についての研究でさらに考えがまとまっていった。

1858年にアルフレッド・ウォレスがダーウィンに送った手紙に自然選択説と同様の理論が書かれていたことに驚き、自然選択による進化理論を共同で発表したダーウィンはさらに執筆中であった『自然選択』と題された大著の要約をまとめ、1859年11月24日に『種の起源』として出版した。

『種の起源』のなかでは、現在の「進化」を指す用語として、あらかじめ内在的に用意された構造の展開出現を意味する"evolution"ではなく、「変更を伴う由来」(Descent with modification)という語を使っている(evolutionの原義については下の項目を参照のこと)。また自然選択(natural selection)、存在し続けるための努力(struggle for existence、現在では通常生存競争と訳される)、そして後の版ではウォレスの提言を受け入れ自然選択をわかりやすく説明する語としてハーバート・スペンサーの適者生存を使用した(生存競争や適者生存は誤解を招きやすいために近年では用いられない)。これらの要因によって環境に適応した形質を獲得した種が分岐し、多様な種が生じると説明した。
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ダーウィンの説の重要な部分は、自然淘汰(自然選択)説と呼ばれるものである。それは以下のような形で説明される。
生物がもつ性質は、同種であっても個体間に違いがあり、そのうちの一部は親から子に伝えられたものである。
環境収容力は常に生物の繁殖力よりも小さい。そのため、生まれた子のすべてが生存・繁殖することはなく、性質の違いに応じて次世代に子を残す期待値に差が生じる。つまり有利な形質を持ったものがより多くの子を残す。
それが保存され蓄積されることによって進化が起こる。
生物の地理的分布や、異性間に起きる選択である性選択についても説明した。
当時は DNA や遺伝の仕組みについては知られていなかったので、変異の原因や遺伝についてはうまく説明できなかった。ダーウィンの遺伝理論はパンジェネシス説と呼ばれ、獲得形質の遺伝や当時主流であった融合遺伝を認めていた。また発生と進化を明確に区別していなかった。
変異はランダムな物であると考えた。ここで言うランダムとは「規則性が全く無い」と言う意味ではない。ダーウィンは変異について確実なことを述べられるような知識を何も持っていなかった。変異がランダムであるとは、変異それ自体には進化の方向性を決める力が内在しないと言う意味である。
進化を進歩とは違うものだと認識し、特定の方向性がない偶然の変異による機械論的なものだとした。
「自然は跳躍しない」という言葉で、進化は漸進的であると主張した。これは「進化は一定速度で進む」事を意味しない。文字通り跳躍的な進化を否定するのみである。進化は小さな遺伝的変異の蓄積によって起きる。その結果として、体節数の変化のような大きな形態的変化が起きる可能性はあるが、目や脳などが一世代でできることはない。
一つあるいは少数の祖先型生物から全生物が誕生した。そして一つの種が二つに分かれる過程を種分化と呼んだが、種分化のメカニズムに関しては深く追求しなかった。
ダーウィンは、進化の概念を多くの観察例や実験による傍証などの実証的成果によって、進化論を仮説の段階から理論にまで高めたのである。

ウォレスは性選択説を認めず非適応的と思われる形質(例えばクジャクの羽)も自然選択で説明しようと試みたが、これは現在の優良遺伝子説に近い説明であった。またウォレスは人間の高い知性や精神的能力は神のような超自然的存在の干渉によるものだと考えた。

2009年04月28日

サン=フェリペ号事件

サン=フェリペ号事件(サン=フェリペごうじけん)は、1596年に起こった土佐でのスペイン船の漂着事件。豊臣秀吉の唯一のキリスト教徒への直接的迫害(日本二十六聖人殉教)のきっかけとなったとされる。

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豊臣秀吉は1587年にすでにバテレン追放令を発布していたが、南蛮貿易の実利を重視した秀吉の政策上からもあくまで限定的なものであったため、黙認という形ではあったが宣教師たちは日本で活動を続けることができた。また各地のキリシタンも公に迫害されたり、その信仰を制限されることはなかった。サン=フェリペ号事件はそのような状況下で起こった。

1596年(慶長元年)7月、フィリピンのマニラを出航したスペインのガレオン船サン=フェリペ号がメキシコを目指して太平洋横断の徒についた。同船の船長はマティアス・デ・ランデーチョであり、船員以外に当時の航海の通例として七名の司祭(フランシスコ会員フェリペ・デ・ヘスースとファン・ポーブレ、四名のアウグスティノ会員、一名のドミニコ会員)が乗り組んでいた。サン=フェリペ号は東シナ海で複数の台風に襲われ、甚大な被害を受けた。船員たちはメインマストを切り倒し、四百個の積荷を放棄してまでなんとか難局を乗り越えようとした(この航海における航海日誌は後に日本で没収されたため現存しないが、後に船長のランデーチョが『サン=フェリペ号遭難報告書』を記し、これがセビリアのインディアス古文書館に残されている)。しかし、船はあまりに損傷がひどく、船員たちも満身創痍であったため、船長は日本に流れ着くことだけが唯一の希望であった。

10月になって船は四国土佐沖に漂着し、知らせを聞いた長宗我部元親の指示で船が浦戸湾内へ曳航されたが、湾内の砂州に座礁してしまった。船員たちは長浜の町に宿を与えられたため、一同で協議の上、船の修繕許可と身柄の保全を求める使者に贈り物を持たせて秀吉の元に差し向け、船長のランデーチョは長浜に待機した。しかし、使者は秀吉に会うことを許されず、代わりに奉行の一人増田長盛が浦戸に派遣されてきた。使者の一人ファン・ポーブレが前もって戻ってきて、積荷が没収されることと自分たちも処刑される可能性があることを伝えると船員一同は驚愕した。

増田らは到着すると「スペイン人たちは海賊であり、フィリピンを武力制圧したように日本でもそれを行うため、測量に来たに違いない」という秀吉の言葉を告げた。その後、増田らは船員全員の名簿を作成し、積荷の一覧を作ってすべてに太閤の印を押した。船員たちは町内に幽閉された上、所持する金品をすべて提出するよう命じられた。増田らの一行は積荷と船員の所持品をすべて没収し、航海日誌などの書類をすべて取り上げて破棄すると、都に戻っていった。

2009年04月13日

鄧 芝(とう し、? - 251年)

鄧 芝(とう し、? - 251年)は、中国、後漢末期から三国時代・蜀漢の行政官・武将・政治家。字は伯苗。荊州・南陽郡新野(現在の河南省南陽市新野県)出身。後漢初期の名臣にして司徒まで上り詰めた鄧禹の末裔である。鄧良の父。

益州(現在の四川省東部)には劉璋が統治する時代(194年から214年)に入った。まだ無名の時期に益州の従事の張裕が人相をよく見ると聞き訪ねていくと、「70歳を過ぎて大将軍となり侯に封ぜられる」と評価された。その後、巴西郡の太守・龐羲がよく士を好むと聞き身を寄せた。劉備が劉璋を打倒して益州を平定すると、転じて劉備に仕えた。あるとき劉備と語らった際に高く評価され、以降抜擢されて郫県令・広漢(現在の四川省広漢市)太守を歴任した。清潔かつ厳格に統治を行って治績を挙げ、尚書となった。

223年、劉備死後の蜀は、跡を継いだ劉禅(後主)はまだ少年であり、三国の他の二国魏とも呉とも敵対しており、危険な状態であった。 鄧芝は蜀の丞相の諸葛亮に請われて呉に使いし、孫権を相手に巧みな弁舌で修好を回復させた。なお、『三国志演義』では孫権が蜀の使者を脅すために置いた熱された大きな釜を罵倒、それに怒った孫権を諭した上で命がけで同盟を結ぶと言い釜に飛び込もうとし、それに驚いた孫権が感服し蜀と再び同盟を結んだ。自ら諸葛亮の北伐の時期には中監軍・揚武将軍として軍を支えた。第一次北伐では趙雲の副将として箕谷道を守備したが、曹真の大軍に敗れている。その後も要職を歴任し、車騎将軍(高位の将軍職)・江州の都督となった。呉に使いして以来、孫権からは度々手紙や贈物があった。248年、涪陵(現在の重慶市)で反乱があったが、これを鎮圧して民衆を安堵させた。251年、没した。『三国志』蜀書・宗預伝にある会話から、247年の時点で70歳を越えており、諸葛亮より年上であった事が確認できる。

清廉な人物として知られ、兵卒らにはよく施しをしながらも、自らは質素倹約に努めて私腹を肥やすこともなく、顕官にありながら妻子にひもじい思いをさせ、財産も残さなかった。性格は剛毅で飾り気なく、士人とうまくつきあえなかった。人を高く評価することは少なかったが、姜維の才能は買っていた。こういった評価は、『三国志』の著者である陳寿が蜀の生まれでかつ彼が18歳のときまで鄧芝は生きていたこともあり、陳寿自身実際に聞いていたであろう。

一子鄧良が爵位を継いで尚書左選郎となり、魏の鄧艾が成都に迫ると降伏の使者として鄧艾に接見し、蜀滅亡後の西晋では父と同じ広漢の太守となった。(『三国志』「蜀書」・鄧芝伝)

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2009年03月29日

男性の擬似性交用と思われがちだが

ダッチワイフとは、いわゆる性具の一種で、等身大の女性の形をした人形のこと。主に男性の擬似性交用として使用するものだが、観賞や写真撮影の対象として扱われることもある。

主に若い男性の擬似性交用と思われがちだが、実際には中高年男性の需要が多い。浮気によらず性欲を発散させるため、伴侶と死別した寂しさを紛らわせるため、という理由が主な購入動機になっている。

また交際相手に恵まれない障害者の場合、製造メーカーの中には、障害者福祉のため障害者手帳の提示があれば、価格を割り引いて販売しているところも少なくない。

等身大の女性に似せて作成される。大人から子供の大きさの物まであり、最近ではアニメキャラクターの顔をした物まである。また、オナニーの補助具に特化した、頭部、手足を省略した「トルソ」と呼ばれるタイプもある。主に男性の性交用として使用されるため、オナホールと呼ばれる性具を装着できる構造になっている。猥褻物となるため最初から女性性器が模られた物はなく、性器部分はオナホールとして別売品となっている。オナホール用の穴だけでなく口や肛門部分にも、男性性器を挿入するための穴が設けられた物もある。ビニール風船のような空気を入れて膨らませる簡易式の物から、シリコーン樹脂などで女性腰部や全身を模した物など様々だが、後者は数十万円台と高価である。最近では、主にシリコーン樹脂を使用した高級ダッチワイフを「ラブドール」として区別しており、マニアの間で人気が高い。そのためダッチワイフと言えばラブドールを指す事が多い。(詳しくはラブドールを参照)

女性に酷似した高級品は性具というよりはむしろ等身大の着せ替え人形として利用されているものも少なくない。観賞や写真撮影の対象のみに使用される場合、オナホール用の穴がない物もある。特にラブドールは、椅子に座らせたり様々なポーズを取らせるための骨格構造を持つものが多く、専門メーカーには様々なオプションパーツを用意して、客の好みで自由に頭部などを選択できる物もある。

合成樹脂あるいはゴム類似物質製の皮膜で出来ている物は、空気を充填して使用する。等身大フィギュアとして使用可能な物は、軟質樹脂の外皮の内部に金属または樹脂製の骨格を内蔵し、発泡樹脂を充填しているものが多いが、最近は関節付き骨格を備えシリコーンゴム一体成形にするなど、より人間に近い形態にする努力が製造メーカーによって為されている。

語源
ダッチワイフのダッチ(Dutch)は“オランダ人”や“オランダの”の意味(注意:英語では蔑称を含む)である。英語では 俗にdutch wife(オランダ風妻)という。当然のことだがオランダ人がこれを特に愛用しているという事実はなく、イギリス人やアメリカ人が商売敵のオランダの抱き枕に対して「オランダ人はもてないからこんなものと性交している」という差別的な意味をこめてつけた名称だといわれている。オランダの植民地だったジャワの竹で編んだ筒状の抱き枕に由来するという説もある。 dutchには「質が悪い」という意味合いもあり(もとはオランダと戦争をしたイギリスのつけた蔑称)、英米の妻と比べると、性交しかできない「質の悪い妻」との揶揄もあるだろう。当のオランダ人にはたいへん不愉快な表現であり、意味上でも適当でないため、今は"sex doll"の方が使われている。

衛生面
保健衛生面で特に注意するべき点は、使用後の処置である。空気を充填する方式のものは、丁寧に洗浄しできればベランダ等で日干しする。外皮が軟質樹脂で内部が発泡樹脂製のものは、内部に水が入らぬよう軽く洗って水分を拭き取り陰干しの後、表面にベビーパウダーを塗布する。シリコーンゴム製の場合は、丁寧に洗浄し水分を拭い取って陰干しの後、表面にベビーパウダーを塗布する。


南極越冬隊のダッチワイフ 南極1号
南極越冬隊員が「南極1号」と呼ばれる特製の高性能ダッチワイフを基地に持ち込んだとの俗説がある。 実際には南極1号ではなくオナホールを仕込んだトルソを持ち込んだものの、評判が悪く、使用されないまま廃棄された[1]。 宮嶋茂樹は南極1号に伝説にあやかって、取材の際に空気式のダッチワイフを南極に持ち込んだが、凍り付いて空気が抜けたと報告している[2]。

以下はその俗説の一つ。

社会から孤立した状態の隊員の精神衛生上から必要とされて持ち込まれたものの隊員からの評判は芳しくなく、その後備品から外された経緯を持つ。当時、男性が長期間に渡って性的交渉が不可能な状況では、精神的な障害を起こすとする心理学的な解釈が一般的だった。このため当時は未知への挑戦という意味合いの強い南極越冬で、想定されうる問題が起こらないようにする様々な対策の一貫で、自慰行為に対応した特別な抱き人形が開発された。しかしこれは後に性科学分野での研究が進み、性的欲求不満は人の精神や肉体に致命的な悪影響を与えないと考えられるようになったため、今日ではそのような備品の導入はみられない。
初期の南極点への到達を目指したチームの中に、錯乱して全裸で雪原に飛び出しそのまま帰ってこなかった隊員がいたことが記録に残されている。性的禁欲によるものではないかと言われているが、実際は重度の低体温症による錯乱と見るべきであろう。

ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー


2009年03月13日

カッパドキア

カッパドキア(ラテン語:Cappadocia)とはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。

古代の地理においてCappadocia (「美しい馬の地」を意味するペルシア語:Katpatukに由来、トルコ語:Kapadokya、ギリシア語:Καππαδοκία)は、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウルス山脈から「ユークシン(Euxine、すなわち黒海)」までのすべての地域を支配した。この意味でのカッパドキアは、南ではタウルス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していた。だが、その境界を正確に定義することは不可能である。その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張したが、現在は長さ約250マイル、幅150マイル以下の範囲だったと考えられている。

カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半に遡る。そこでは、2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセスについて3言語で書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)として現れている。地方についてのこれらの一覧の中で、古代ペルシア語での名称はKatpatukaであるが、ペルシア固有の言葉でないことは明らかである。エラム語とアッカド語版の碑文も、類似の名称を含んでいる。

ヘロドトスは、カッパドキア人という名称はペルシア人(しかるに、彼らはギリシア人によって「シリア人」「白いシリア人」(Leucosyri)と呼ばれた)によって用いられたと伝えている。 彼が言及したカッパドキアの部族の一つはw:en:Moschoiであり、彼らはフラウィウス・ヨセフスよって、旧約聖書の人物でヤペテの息子w:en:Meshech に結びつけられた。「そして、Mosocheni 人は Mosochによって興され、今や彼らはカッパドキア人である。」『古代ユダヤ史』 I:6。『ミシュナー』のw:en:Ketubot 13:11も参照。

ペルシア帝国後期の皇帝の支配のもとで、彼らは2つのサトラップ、すなわち行政区に分割された。中央と内陸の部分を含む一方に対して、ギリシアの地理学者によってカッパドキアの名前が使われ続け、そして他方はポントスと呼ばれた。この分割はクセノフォンの時代以前に既になされていた。 ペルシア帝国滅亡後も2つの州は分離され続けたので、両者の区別は恒久化された。カッパドキアは内陸の州(時に大カッパドキアと呼ばれる)に限定され、これのみが本稿の焦点となる。

カッパドキア王国はストラボンの時代にはまだ名目上は独立国として存在していた。 キリキアはその国全体の首都であるカエサレア・マザカ(現在のカイセリ)が位置する地域に与えられた名前である。ストラボンは、カッパドキアの中で2つの都市のみが名を挙げるにあたいすると考えた。それは カエサレア(元はマザカとして知られた)とティアナw:en:Tyanaで、タウルス山脈の麓から遠くない位置にあった。

カッパドキアは、後期青銅器時代にハッティ人として知られ、ハットゥシャに中心を置いたヒッタイト軍の本拠地となった。

ヒッタイト帝国の滅亡の後、紀元前6世紀のクロエススによる敗北以後のシリア系カッパドキア人(w:en:Moschoi)の衰退によって、カッパドキアは強固な城に住み、農民を奴隷状態においた、一種の封建貴族の軍政に委ねられた。これは後に、彼らをして、外国の奴隷制度に適した者とした。 カッパドキアは皇帝ダレイオス1世によって設置された区画の中でペルシア帝国第3サトラップに含まれた。しかし、誰もその地方全体に対して明確に至上な存在ではなく、大王に対してほぼ完全に従属した地元の支配者たちによる統治が長く続いた。 最後にはサトラップのダタメスによって徹底的に抑えられ、カッパドキアは、一人の統治者アリアラテス(以後、「アリアラテス1世」と呼ばれる)のもとで独立を回復した。彼はアレクサンドロス大王と同時代の人であり、ペルシアの君主制が滅びた後も、カッパドキアの王位を維持した。
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

この地域にアレクサンドロスが訪れることはなかった。彼は、小アジアから出発する前にアリアラテスによってなされた彼の統治権への従属的承認で満足した。そして、土着王朝の継続はアレクサンドロスの死後の短い期間のみ中断された。なぜならその時、帝国の全体的な分割の中で、王国はエウメネスのものとなったからだ。彼の権利は、アリアラテスを磔刑にした摂政のペルディッカスによって紀元前322年に履行された。しかしエウメネスの死をもたらした紛争の中で、アリアラテスの息子は遺産を回復し、それを後継者の血統に残した。それゆえ彼は、たいていの場合王朝の創始者の名を担っている。

2009年02月25日

戦闘メカ ザブングル

「三日の掟、泥棒、殺人、あらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」―それが惑星ゾラと呼ばれる星の不文律だった。ロックマン(ブルーストーン採掘業者)、ブレーカー、運び屋、交易商人といった「シビリアン」達は、この掟を守って生きていた。

しかし、たった一人、この掟に抗った少年がいた。著名なロックマン「鉄の腕」の一人息子ジロン・アモスである。両親を殺したブレーカーのティンプ・シャローンを親の仇とし、掟の三日を過ぎても、なお追いかけ続けた。

ジロンと関わった者は知らぬうちに「三日で晴らせなかった因縁は全て忘れなくてはならない」という三日の掟を超えた意思を示し、彼の生き様は周囲を巻き込みやがてゾラの支配階級「イノセント」との全面戦争に発展する。

概要
富野喜幸が名義を富野由悠季と改め、『機動戦士ガンダム』以来2年ぶりにTVアニメの監督としてこの時間枠に復帰した作品。その後、『機動戦士ガンダムΖΖ』まで5作品を送り出すことになる。

前番組『最強ロボ ダイオージャ』の頃には、リアルロボット作品として『ガンダム』の評価が定まってきており、同様にリアルロボット作品として『太陽の牙ダグラム』が始まっていた。『ダイオージャ』の後番組にリアル路線では視聴者の抵抗が大きいと判断されたため、本作はリアルさにおいて『ガンダム』と『ダイオージャ』の中間的な作風となった[1]。

当初は『エクスプロイター』という、鈴木良武・吉川惣司らを中心としたシリアスな宇宙物の企画として進められていた。富野が加わってからはキャラクターデザインなどを除いて一新され、「“西部劇のような世界”に“ガソリンエンジンで動き、自動車のようなハンドル(ステアリング)とアクセルペダルで操縦する巨大ロボットウォーカーマシン(以下WM)”が登場する、派手なロボットアクションを前面に出した作品」となった。

富野は本作より前に登場人物が悲惨な末路となる形で終わる作品をいくつか手がけているが、本作は「“誰も死なない作品”とする」との決定の元に制作された。敵役ですら、通常であれば死亡するようなケースでも生存するものがおり、当初の方針がほぼ貫かれている。

主人公・ジロンの顔はコンパスで描いたように丸くデザインされている(このためジロン・アモスは作中で「ドマンジュウ」「メロン・アモス」など、およそ主人公とは思えないようなあだ名で呼ばれている)。このデザインについて湖川友謙は、後に発行されたムック内では「前々から暖めていたものであり、必ずしもコメディを意識して用意したものではない」と語っていたが、その後の研究本では「コメディを意識して」と発言している。 全キャラクターについて瞳に共通した特徴があり、「虹彩のない単色の丸い瞳にハイライトの白線が斜めに一本入っているだけ」という単純なデザイン(通称「ネジ目」)となっている。なお、企画段階ではキャラクターの服装は世界観にあわせ変遷したものの、顔は『エクスプロイター』の時から一貫して「ネジ目」だった。

本作では宮崎駿の作品が意識された。本作のスタッフの仕事振りに不満を持った富野が「カリ城を見習え!」と檄を飛ばした(宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』のこと)[2]。出渕裕によると、同じく宮崎監督作である『未来少年コナン』からの影響が指摘されている。出渕によれば富野は宮崎のやっていることに憧れを持っていたそうである[3]。

作品そのものは非常に明るいコメディタッチで描かれている。また仇役であるティンプやホーラといったキャラクターたちにも何処か憎めないユーモラスさを持たせている。

本作は、単なるロボットアニメとは異なり、いくつもの新機軸と言えるアイディアを盛り込んでいた。

その一つに「主人公メカザブングルが物語の途中で破壊され、全く別の新型機ウォーカー・ギャリアに乗り換える」という、いわゆる「主役機の交代劇」がある。 それまでにも「『ゲッターロボ』(1974年)から『ゲッターロボG』(1975年)へ」など、主人公が機体を乗り換えるという事例はあったが、それらはあくまでも物語が一度完結した後での事だった。物語の途中で、しかも番組タイトルとなっている物から別のマシンへの乗り換えはロボットアニメでも異例の出来事だった。これは、企画段階での変更により主役メカのデザインがどうしても世界観に馴染まないため行なわれた措置だった(アイアン・ギアーの項も参照)。

なお、ザブングルは当初から2機が登場し、もう1機は他のキャラ(主にエルチ・カーゴ、ラグ・ウラロ)が使用して最後まで活躍した。スポンサーのクローバーによると、2機のザブングルは合体する予定だったという[4]。番組後半はこの合体したザブングルの商品が投入される予定だったが、代わりに前述のギャリアが発売された。

また、ザブングルとギャリアを合成して再設計した新型WM・ブラッカリィが敵側の戦力として登場し、ザブングルやギャリアを苦戦させるという展開が見られる。更に、主人公達の乗艦である大型母艦アイアン・ギアーは同型艦が二度に渡って登場し、1隻目のグレタ・ガリーとの戦闘では、大破したアイアン・ギアーを捨てて乗り換え、2隻目ギア・ギアとは巨大WMに変形しての激闘を繰り広げている。

『ガンダム』では、人型のロボットが登場するためのSF的な理由付けが設定されていた。本作にもその理由付け設定があり、「破壊された地球から逃げ出した人々(イノセント)の“再び二本の足で大地を踏みしめたい”という願い」から生まれたことなっている。
どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

用語
惑星ゾラ
ヒトに良く似た人類が住む地球に良く似たどこかの惑星。天変地異により失われた文明の遺物が点在する。
シビリアン
ゾラの大地で暮らす人々で、イノセントやハナワンやトラントランと並びゾラにおける人種の呼称。ジロンたちもシビリアンである。シビリアンは社会性をイノセントにコントロールされており、事実上支配されている。
三日限りの掟
イノセントにより定められシビリアン達の間に浸透している法律。「盗んだものでも三日経てば自分のもの」で、「これを破ったものは、後ろから撃たれても文句は言えない」とされる。イノセント側も同じとされるが作中では描写されていない。
多くのシビリアン達はこれを受け容れていたが、イノセントのエージェントのティンプ・シャローンによって、両親を殺害されたジロン・アモスがティンプを仇敵として三日経ってもつけ回すようになり、そういったジロンのこだわりにより、三日限りの掟に疑問を覚える人々が徐々に増えていく。
イノセント
ゾラの各地に点在するポイントと呼ばれるドームの中で暮らす人種の呼称。ドーム外の環境に適応できず、外気に触れると短時間で死亡する。シビリアンには製造することが出来ない物資を支給してくれることから、援助をしてくれる絶対的な存在として認知されている。シビリアンには理解できない優れた科学力を持ち、その決定は絶対的なものと考えられていた。シビリアンに、ブルーストーン(鉱石)本位の経済活動を行わせている。また、シビリアンの社会に騒乱を引き起こすことによる社会性の進歩を観察している。
ロックマン
ブルーストーンという希少鉱石を採掘する人々、鉱夫。時々巡回してくる交易商人のバザーでブルーストーンを貨幣や金、コンピュータコアなどシビリアンでは造れない製品と交換し、バザーでにわかに出来た街で日用品を買い、次のバザーまでまたブルーストーンを採掘するという生活をしている。
ブレーカー
壊し屋。ウォーカーマシンなどを用いた戦闘から、強盗や殺人、用心棒など暴力行為を行う職種。交易商人に雇われている者が多い。なお、「日雇いブレーカー」というセリフはビデオソフト化の際カットされた。
運び屋
ランドシップによって各地を渡り歩き、開催するバザーによって収益を得る交易商人の総称。エルチの父、キャリングをはじめ、様々な人々がイノセントと繋がりを持ち、バザーでの収益で得たブルーストーンをイノセントに献上し、その代替えとして、ランドシップや、ウォーカーマシーン、さらにシビリアン側に売りつけるホバーノズルやコンピューターコアを入手する。
サンドラット
砂鼠という名前を持つ少年、少女達の暴走族。リーダーはラグ・ウラロ。
ホバギーを操り、ロックマンやブレーカーを襲撃して生計を立てていたが、ジロン・アモスとの出会いによって大きく運命が変わる。
ブルーストーン
青い希少鉱石。イノセントはシビリアンに対しブルーストーンを上納させることで様々な生活物資を物々交換で与えている。それによりイノセントは経済社会を形成させている。実際には誤りだが、シビリアンの間では「水のあるところにはブルーストーンは存在しない」が常識となっていた。
鈴木良武による小説版では、「単なる変成岩の一種にすぎず、転用できる価値の無い信用通貨のようなもので、上納されたブルーストーンはシビリアンには知らされていないがこっそり廃棄されていた」と語られる。
ソルト
イノセントの支配体制に疑問と不満を持って、打倒イノセントをもくろむシビリアンの組織。「シビリアンによる自由と独立」をスローガンに掲げる。リーダーはカタカム・ズシム。

登場人物
登場メカ
背景世界が西部劇を意識しているためか、登場キャラクターは古今東西の様々な銃器を使用する。例えば、ジロンは「リングハンマーとタンジェントサイトを装備した初期型のブローニング・ハイパワー」、ティンプは「コルト・ピースメーカーを二挺拳銃で」など。これらはオリジナルではなく、イノセントがコピーして製造し、シビリアンに支給したものという設定である。また、一部のウォーカーマシンにも2 cm Flak 38対空機関砲など第二次世界大戦時の火器のコピーらしき装備が搭載されている。

移動手段は基本的に車輪、ホバークラフト、歩行(WM)のいずれか。砂漠などの不整地が多いため、車輪は少数派である。 飛行機械はほとんど存在しないが、実在する爆撃機フライング・ガン・シップ「ミッチェル」(ノースアメリカンB-25J爆撃機)などが登場する。外観はオリジナルの通りで米軍のマーキングまで再現されているが、イノセントがドームの外に出る際の移動手段として使用されている。機内はドーム内と同様に彼らの生命が保たれるようになっており、内装も作り変えられている。

ウォーカーマシン
惑星ゾラにおいて使用されている歩行メカ。WMと略される。大小様々なタイプがあり、そのほとんどは二足歩行(六本脚のウォーカー・タンカーなども存在するが、一般的なWMのカテゴリーに含まれるか否かは不明)。当初はブルーストーン採掘でも使用する汎用作業機械という位置づけだったが、ザブングルやウォーカー・ギャリアは明らかに文字通りの戦闘メカであり、他にも戦闘用に特化したタイプが登場する。
ランドシップ
惑星ゾラにおいて使用されている陸海両用浮上式航行艦。基本的には大型のホバークラフトで、大きさ・形状とも様々なクラスが存在する。ほとんどが武装しており、中でも巨大WMに変形できるアイアン・ギアー級は絶大な戦闘力を誇る。
ホバギー
オートバイに相当する小型ホバークラフト。誰でも操縦できる一般的かつ手軽な移動手段として使用されている。ウォーカー・ギャリアはWMにホバギーの特色を取り入れた設計となっている。

2009年02月08日

インダス文明 (インダスぶんめい、Indus Valley civilization)

インダス文明 (インダスぶんめい、Indus Valley civilization) は、インド・パキスタンのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明で、現在南インドを中心に暮らしているドラヴィダ人によりつくられたと推定されている。考古学上は、ハラッパー文化と呼ばれ、パキスタン、パンジャブ州のハラッパーを標式遺跡とする。
シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス

インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。滅亡については諸説あり、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説と、後述するように砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住したという説がある。

また、ドラヴィダ人は、紀元前13世紀に起きたアーリア人の侵入によって、被支配民族となり一部が南インドに移住した。

文明の存在が認識されるようになったのは比較的遅く、イギリス支配下の19世紀になってからのことである。1826年に探検家のチャールズ・マッソンがハラッパーにある周囲約5kmに及ぶ巨大な廃墟について報告し、「紀元前326年にアレクサンドロス大王を撃退したポルス王の都シャンガラの跡ではないか」と推測している。1831年にもアレクサンダー・バーンズが調査中同地を訪れ地元の人から廃墟にまつわる「神の怒りによって滅んだ」との伝承を紹介し、本国イギリスで考古学的好奇心を大いに刺激するようになる。イギリスは既に18世紀に「アジア協会」を設立しており、任地インドに赴いていた元軍属のアレクサンダー・カニンガムが同協会の元でインド(及びパキスタン)考古学の基礎を築くことになる。カニンガムは1853年・1856年に最初のインダス遺跡発掘となるハラッパー遺跡の発掘を行い、未知の文字が書かれた印章・土器などが出土した[1]。

カニンガムは1862年、インド考古局の発足に尽力し初代局長となるがこの頃から鉄道敷設のため遺跡の建材を崩されてしまう課題に取り組まねばならなくなっていた。その後も第3局長ジョン・マーシャルらによってインダス文明の研究は発展していくこととなる[2]。

技術
鉄は知られず、青銅器を使った。都市計画で知られるように建築技術が発達し、縦:横:厚みの比4:2:1で統一された焼成レンガが広く使われている。服は染色された綿で作られていたようで、染色工房と推定される場所が見つかっている。高い加工技術を要する極小のマイクロビーズや紅玉髄の装飾品も作られていた。

都市
インダス文明諸都市の分布大小の都市が建設された。都市の規模は、メソポタミアのものよりも小さく、モヘンジョ=ダロとハラッパーがメソポタミアの小都市にようやく匹敵する規模であった。主な都市遺跡を下記に掲げる。(このほかに小規模の遺跡が多数知られる)

ハラッパー、カーリバンガン(パンジャブ地方)
モヘンジョダロ(パキスタン南部、シンド地方)
ロータル、ドーラビーラ(北西インドのグジャラート)
うち、モヘンジョ=ダロ、ハラッパーは、1km四方を超える規模をもつ。

都市には2種類あって、「城塞」と「市街地」が一体のタイプ(ロータル、ドーラビーラ)と、「城塞」と「市街地」を分けているタイプ(モヘンジョ=ダロ、ハラッパー、カーリバンガン)とがある。

行政
排水溝設備の整った碁盤目状に街路が走る計画都市であって、ダストシュートや一種の水洗トイレなどが設けられた清潔な都市だったのではないかと推定されている。

土器やビーズなどの主だった出土品に見られる均質性の一方で、信仰や儀礼のあり方が地方によって異なる面がある。これを次に説明する。

モヘンジョダロの「城塞」には、しばしば、「大浴場」と呼ばれるプール状施設があり、豊饒と再生を祈念する儀礼が行われた沐浴場と考えられている。一方で、北方のパンジャブ州に近いカーリバンガンのように、「城塞」の南区や「市街地」の東側の遺丘の上で、独特な「火の祭祀」を行っていたと思われる遺跡もあり、シンド州の遺跡やモヘンジョダロで見られるような再生増殖の儀礼と関係すると考えられるテラコッタ女性像やリンガ石と呼ばれる石製品が出土しない。また、南方のロータルを含むグジャラートでは、「火の祭祀」とテラコッタ女性像に象徴される再生増殖儀礼の両方の要素が見られるなどの違いが見られるため、インダス文明の構造や性格を解明する上で大きな課題となっている。

文化

様々なインダス式印章都市遺跡からは、多くの「インダス式印章」が出土する。凍石製で、印面は、3?4cmの方形で、インダス文字とともに動物などが刻まれている。動物は、サイ、象、虎などの動物のほかに後のインドの文化にとって重要な動物である牛が刻まれているのが目立つ。一方で、一角獣など架空の動物が刻まれたり、「シヴァ神」の祖形と思われる神などが刻まれていることもある。商取引に使用されたと考えられ、メソポタミアの遺跡からもこのような印章の出土例がある。インダス文字は現在でも未解読の文字で、統計的分析などが出来る長文のものや、ロゼッタストーンのように多言語併記の物が出土しないことが研究の大きな障壁になっている。

農業
インダス川の氾濫による肥沃な土壌を利用した氾濫農耕を行った。河川から離れた地域では、地形を利用した一種の「せき」を築き、そこへ雨期の増水を流し込み、沈澱させた土壌を用いて農耕をしていたと推察される。

商業
装身具、主として紅玉髄製ビーズの製造。腐食ビーズと呼ばれる「紅玉髄製ビーズ」に白色の文様を入れる技術を持っていた。支配者層の装身具だけでなく、主要な輸出品でもあった。

盛んな商業活動。石製、銅製の各種の分銅や秤がある。メソポタミアとの盛んな交易が知られ、主として紅玉髄製ビーズの輸出を行った。「メルッハ(国)」と呼ばれていたと推定されている。

埋葬
埋葬は、地面に穴を掘って遺体を埋葬する土坑墓を用いた。長方形の土坑が多かったが、楕円形のものも造られた。遺体は、頭を北にして仰向けに身体を伸ばした、いわゆる仰臥伸展葬が主体であった。足を曲げた形で遺体が葬られているものもあるが、その場合も頭は北に置かれた。ひとつの土坑に一人が葬られるのが普通であるが、例外も見られる。副葬品は土器が一般的で、頭の上、すなわち墓坑の北側部分に10数個を集中して置くが、まれに足元、つまり南側に副葬した例がある。腕輪、足輪、首飾りなどの装身具をつけたまま埋葬された例もあり、その場合、銅製の柄鏡も出土している。重要なことは、被葬者間に際立った社会的格差が見られないという特徴があり、インダス文明の性格を示していると思われる。

他の古代文明とは異なり、戦の痕跡や王のような強い権力者のいた痕跡が見つかっていない。

滅亡の原因
インダス文明滅亡の原因は、古くから論争があり、代表的なものとして、M.ウィーラーによる「アーリア人侵略説」をはじめとする外部からの侵略説がまず滅亡の原因として唱えられた。発掘調査によって埋葬もされないで折り重なるおびただしい人骨が確認されたために外部からの侵入による虐殺説がとなえられた。また、ヴェーダなどの戦争記事がその根拠のひとつとされた。しかし、当時の発掘調査は、層位関係を考えないで地表からの深さのみを記録して行われた調査であったために同時期の人骨ではないということで否定された。

一方、前述の通り、かつてインダス文明が存在した地域は現在砂漠となっている。インダス文明が消えたのはこの砂漠化によるのではないかと言われている。

砂漠化の原因としては、紀元前2000年前後に起こった気候変動が挙げられている。大西洋に広がる低気圧帯は、一時北アフリカと同じ緯度まで南下し、さらにアラビア・ペルシア・インドにまで及んで、雨をもたらし、緑豊な土地になっていた。しかしやがてこの低気圧帯は北上し、インドに雨をもたらしていた南西の季節風も東へ移動して、インダス文明の栄えていた土地を現在のような乾燥地帯にしてしまった、というのである。また、インダス文明が森林を乱伐したために砂漠化が進行した、という説もある。しかし、乾燥化説については、ラクダの骨や乾地性のカタツムリが出土していること、綿の生産が行われていたことなどは、川さえあれば気温の高い乾燥ないし半乾燥地帯で文明が興りえたことを示し、「排水溝」も25ミリの雨がふっただけでももたない構造であり、煉瓦を焼くにも現在遺跡の周辺で茂っている成長の早いタマリスクなどの潅木でも充分間に合ったのではないかと反論する研究者もいて決定的なものとなってはいない。

そのため、最近では紀元前2000年頃に地殻変動が起こって、インダス川の流路が移動したために河川交通に決定的なダメージを与えたのではないかという説が有力になっている。実際のところインダス遺跡はインダス川旧河道のガッカル=ハークラー涸河床沿いに分布している。

2009年01月23日

相手の攻撃をガード中に攻撃ボタンを連

アドバンシングガード (AG)
『セイヴァー』より追加。相手の攻撃をガード中に攻撃ボタンを連打(正確にはボタンをずらし押しなどで瞬時に複数のボタンを押さなければならない)すると、相手を強制的に後ろに押し下げ、連続してガードさせられる状況から脱出できる。失敗すると必殺技を空振りするリスクのあるガードキャンセルに比べ、こちらは失敗しても隙の少ない通常技が出るだけで済むため、ローリターンだが比較的ローリスクな行動である。ただし、攻撃のタイミングを微妙にずらされると通常技の出始めの隙に攻撃を食らってしまう。上級者同士の対戦になると、攻撃すると見せかけて相手のアドバンシングガードを誘い、暴発した相手の通常技をガードしそれにガードキャンセルをかけるような高度な駆け引きも見られる。なお、アナカリスのみアドバンシングガードをすることができない。
インパクトダメージゲージ
『セイヴァー』より採用。初代『ヴァンパイア』や『ハンター』での従来の「体力ゲージ」は、1ラウンドが終了する毎に両者とも体力が全快した状態で次のラウンドを開始していたが、『セイヴァー』以降のこのゲージシステムでは勝利側は受けたダメージを持ち越し、敗北側はバットマーク(ライフ残量を示し、これをすべて失うと負けとなる)を1つ失った上でゲージが全回復する。またタイムのカウントも引き継がれるが、『セイヴァー2』および『ハンター2』ではダウン時に残り時間が20延長される(最大99まで)。どちらかが体力ゲージを失ってダウンが発生した際には、そのまま試合は続行されるものの、一旦仕切り直しとなるため、発動中のダークフォースやオプション攻撃などは全て解除される。
受けるダメージは、赤いゲージで示される「確定ダメージ」と、白く点滅する「回復可能ダメージ」に分かれている。回復可能ダメージは、一定時間攻撃を食らったりガードしたりしなければ徐々に回復していく。ダメージは、回復可能ダメージと確定ダメージを含むために全体的に高めとなり、攻撃を一方的に受け続けるとゲージがどんどん減っていくため、プレイヤー間の腕が開き過ぎていると勝負が早く終わってしまう。
スペシャルストックゲージ
試合中の画面下部(『ハンター』では体力ゲージの真下)には、体力ゲージとは別にゲージが存在し、攻撃を出すなどの行動により徐々に溜まっていく。
初代では「スペシャルゲージ」と呼ばれる。ゲージが満タンになると「Special」の文字が点灯し、ゲージを消費する行動を行うと0に戻る。「Special」の点灯の有無に関わらず、ゲージは時間経過と共に徐々に減少していくが、「Special」点灯時はさらに減少が速くなる。また、ラウンド間の引継ぎはできない。「Special」点灯中は一時的に攻撃力が増加する。
『ハンター』以降では「スペシャルストックゲージ」と呼ばれ、ゲージが満タンになると「ストック」することが可能になり、最大99個までストックを溜めることができる。溜めたゲージは使用しない限り自然減少はせず、同一試合内なら次のラウンドへ持ち越すことができる。
ゲージが一杯になると、以下の行動が可能になる。
ES必殺技
ビーシ イズミル サイド トレハ シェブロ マイラー ホウオウ マドレーヌ マルチビ チャー ピナクル マックス エデン 恋のラジオ 桔梗ナビ 桜桃 セリ対策 テナント メンタル スペー パワー あぴお スタート ジョイ ナビゲ レバー支援 トルマン アポク オフライ フォートラン まっち レンゲ ブラウザー ビネガ ナイト テオプ ふぁんでる ヨットパ まぜり タイザー チケット サラシア 秋の夕暮れ ジンギ スタンス ロールフ えせん バック オイディ コスト

通常の必殺技を強化したもの。「ES」は「エスペシャル」と呼ぶ。通常よりもダメージが大きいなど単純に効果を増大させるものが多いが、中には性質が全く変わる技も存在する。
初代では、ゲージが満タンになった後に徐々に0に向かって減っていく仕様になっている。その間に、ES版に対応した通常の必殺技を出すと自動的にES化し、ゲージは強制的に0に戻る。このため、初代では技の威力(弱中強)でそれぞれES必殺技の性能が変化するものも多い。中には、「Special」点灯時に発動するとゲージのみ消費されてしまうが、性能が通常時と全く変わらない技もある。
『ハンター』以降は、2ボタンを同時押しして通常の必殺技を出すと、ゲージを1本消費してES必殺技が発動するように仕様が変更された。技の発動中は体が変色して(『セイヴァー』以降は全員共通で青色に)光る演出も追加される。
EX必殺技
ゲージが一杯になっているときだけ使用可能な、特殊な必殺技(他の格闘ゲームで言うところの「超必殺技」)。その多くは派手な演出を伴い、攻撃力も高い。なお、「EX必殺技」という名称は『ハンター』からで、初代では「スペシャル必殺技(SP必殺技)」と呼ばれていた。『ハンター』以降では技を発動中のキャラクターの体は虹色に発光する。なお、モリガンの「ダークネスイリュージョン」のようなボタン順番押しコマンドのEX必殺技に限り、本来ならキャンセル不可能なチェーンコンボを強制的にキャンセルして出すことが可能になっている。
ダークフォース
『セイヴァー』より追加。一定時間背景が変化し、特殊能力を発動できる。発動時に僅かな無敵時間が存在する。効果時間中は使用者のスペシャルストックゲージが一切増加しない。また、リバーサルでの発動はできない。
ダークフォース チェンジ (『セイヴァー』)
『セイヴァー』ではキャラクター毎に効果が異なり、ゲージを1つ消費して「攻撃を受けてものけぞらない」「追加攻撃するユニットなどが追加」などの一時的な強化がなされる。弱・中ボタン、強ボタンで異なる2種類のダークフォースを所持しているキャラクターもいる。制限時間のゲージが0になると、技などの動作が終了した時点で強制的に終了ポーズとなり、隙が発生するというリスクがある。なお、制限時間内でも任意のタイミングで自分から終了させることもできるため、相手をダウンさせている間に解除して隙を軽減するということも可能。このタイプのダークフォースは、PS版『セイヴァー EXエディション』のゲーム内表記、およびPS2版『ダークストーカーズコレクション』の説明書では「D.F.CHANGE(ダークフォース チェンジ)」と呼称されている。これらの一部は、元は『ハンター』以前でのEX必殺技であったり、『セイヴァー2』と『ハンター2』でEX必殺技として引き継がれているものもある。技として扱われているため、それぞれに個別の技名が付けられている。
ダークフォース パワー (『セイヴァー2』『ハンター2』)
『セイヴァー2』と『ハンター2』でのダークフォースは全キャラクター共通のもので、ゲージを2つ同時に消費し「相手に与えたダメージが全て回復不能ダメージになる」、「自身の体力回復が速くなる」、「空中チェーンコンボが可能になる」、「特定のEX必殺技が強化される」といった効果が出る。任意の途中解除はできないものの、終了時の隙は存在せず、制限時間が終了すると技の動作中でも強制的に解除される。このタイプのダークフォースは、『EX エディション』と『ダクコレ』では「D.F.POWER(ダークフォース パワー)」と呼称されている。
さらに、『ダクコレ』内の『ハンター2』のアレンジバージョンでは、インパクトダメージゲージを採用していないため性質が少し異なり、体力回復の代わりに「攻撃力と防御力が上昇」「1発分の攻撃を受けてものけぞらない(スーパーアーマー)」という効果に変わっている。
『ヴァンパイア』ではスペシャルゲージが満タンになった後、一定時間の間にESもしくはスペシャル必殺技が1回だけ使えるという仕様であったが、『ハンター』以降はゲージが一杯になるとスペシャルストックゲージのストックが1つ増え、ES必殺技やEX必殺技を出すごとにストックを1つ消費するようになる。『セイヴァー』以降ではストックを同時に2つや3つ消費するEX必殺技なども登場している。ただし、『クロニクル』にて、ゲームシステムを「ヴァンパイアモード」にした場合、本来ならば2つ以上を消費するEX必殺技やダークフォースもスペシャルゲージを1回満たすのみで使用可能になる。

2009年01月16日

応神天皇5世の孫(曾孫の孫)


ユーティ つくだ ジャー まんご アンプ マガジン マッコリ だいせん センダン チコリー ノアアク フェイント ホーム フロッタ マリ幸運 ナンヨウ ジブル おれが オーシャ ディフェ メッシュ ナツユ ふくべそ しもごう ギャルド リング リビア キウイフル ローティー ニュース ニアピン モーター ジュアル マイナー ガント ビーム ツーリズム レクラニ ハイフ センサ メチエ バイパス クール おたる ビリー ジャンプ トロール モホス プチトマト はかま
『日本書紀』によれば応神天皇5世の孫(曾孫の孫)で父は彦主人王(ひこうしのおおきみ)、母は垂仁天皇7世孫の振媛(ふりひめ)である。ただし、応神から継体に至る中間4代の系譜について『記紀』では省略されており、辛うじて鎌倉時代の『釈日本紀』に引用された『上宮記』逸文という史料によって知ることが出来る。これによると、男子の直系は「凡牟都和希王(ほむたわけのおおきみ・応神天皇) ─ 若野毛二俣王 ─ 大郎子(一名意富富等王) ─ 乎非王 ─ 汙斯王(=彦主人王) ─ 乎富等大公王(=継体天皇)」とされる。『上宮記』逸文は近年、黛弘道の研究によって推古朝の遺文である可能性も指摘され、その内容の信憑性や実際の血統については前述のとおり議論が分かれているものの原帝紀の編纂(欽明朝か)と同じ頃に系譜伝承が成立したものと思われる。

皇后:手白香皇女(たしらかのひめみこ。仁賢天皇の皇女)
天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと。欽明天皇)
妃:目子媛(めのこひめ。尾張連草香の女)
勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ。安閑天皇)
檜隈高田皇子(ひのくまのたかたのみこ。宣化天皇)
妃:稚子媛(わかこひめ。三尾角折君の妹)
大郎皇子(おおいらつこのみこ)
出雲皇女(いずものひめみこ)
妃:広媛(ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女)
神前皇女(かむさきのひめみこ)
茨田皇女(まんたのひめみこ)
馬来田皇女(うまぐたのひめみこ)
妃:麻績娘子(おみのいらつめ、麻組郎女。息長真手王の女)
荳角皇女(ささげのひめみこ) 斎宮
妃:関媛(せきひめ。茨田連小望の女)
茨田大娘皇女(まんたのおおいらつめのひめみこ)
白坂活日姫皇女(しらさかのいくひひめのひめみこ)
小野稚娘皇女(おののわかいらつめのひめみこ、長石姫)
妃:倭媛(やまとひめ。三尾君堅楲の女)
大郎子皇女(おおいらつめのひめみこ、大郎女)
椀子皇子(まろこのみこ、丸高王) 三国公・三国真人の祖
耳皇子(みみのみこ)
赤姫皇女(あかひめのひめみこ)
妃:荑媛(はえひめ。和珥臣河内の女)
稚綾姫皇女(わかやひめのひめみこ)
円娘皇女(つぶらのいらつめのひめみこ)
厚皇子(あつのみこ、阿豆王)
妃:広媛(ひろひめ。根王の女)
菟皇子(うさぎのみこ。記になし) 酒人公の祖(能楽の金剛流はこの子孫という)
中皇子(なかつみこ。記になし) 坂田公の祖

皇居
※『日本書紀』に拠る。
507年2月、樟葉宮(くすばのみや、大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社付近が伝承地)で即位。
511年10月、筒城宮(つつきのみや、現在の京都府京田辺市多々羅都谷か)に遷す。
518年3月、弟国宮(おとくにのみや、現在の京都府長岡京市今里付近か)に遷す。
526年9月、磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや、現在の奈良県桜井市池之内か)に遷す。
上叙の遷都は政治上の重大な変革があったためとする説もあるが、憶測の域を出ない。ただし、この記録が事実とすると、継体が大和にいたのは最後の5年のみである。

異説
隅田八幡神社旧蔵の国宝「人物画像鏡」の銘文に『癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟』「癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、穢人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る」(判読・解釈には諸説あり)とある。

このように読むと「癸未」を503年、「男弟王」を(おおと)=男大迹王と解釈でき、継体天皇は癸未=武烈天皇5年8月10日(503年9月18日)の時点では、大和の意柴沙加宮=忍坂宮にいたとする仮説が成り立つ。もしこの説が正しければ、継体天皇が畿内勢力の抵抗にあい、長期に渡って奈良盆地へ入れなかったとする説も崩れる。

また、鏡を作らせて長寿を祈った「斯麻」が百済の武寧王(別名斯麻)とすると、鏡は百済王より継体天皇に贈られた品という見方も出来る。ただ、「古事記」に見える王名「袁本杼(ヲホド)」と鏡の銘文に記された「男弟(ヲオト)」とは6世紀初頭における発音は異なっていたので[1]、この説は根本部分に無理があるのは否めない。

伝承
ゆかりの地である越前はかつて湿原が広がり農耕や居住に適さない土地であった。男大迹王(おおとのみこ、のちの継体天皇)はこの地を治めると、まず足羽山に社殿を建て大宮地之霊(おおみやどころのみたま)を祀りこの地の守護神とした。これが現在の足羽神社である。

次に地形を調査のうえ、大規模な治水を行い九頭竜川・足羽川・日野川の三大河川を造ることで湿原の干拓に成功した。このため越前平野は実り豊かな土地となり人々が定住できるようになった。続いて港を開き水運を発展させ稲作、養蚕、採石、製紙など様々な産業を発達させた。

天皇即位のため越前を離れることになると、この地を案じて自らの御生霊を足羽神社に鎮めて御子の馬来田皇女(うまくだのひめみこ)を斎主としてあとを託したという。このような伝承から越前開闢の御祖神とされている。

陵墓
三島藍野陵(みしまのあいののみささぎ)に葬られた。 宮内庁は同陵を大阪府茨木市太田三丁目の太田茶臼山古墳(前方後円墳・全長226m)に比定しているが、築造時期は5世紀の中頃とみられており、近年、同府高槻市郡家新町の今城塚古墳(前方後円墳・全長190m)から兵馬俑の如き埴輪群が発見され、6世紀前半の築造と考えられる同古墳を真の継体天皇陵とするのが定説になっている。

石碑
1847年、飛騨高山の国学者・田中大秀の起案を受けて門弟・橘曙覧、池田武万侶、山口春村、足羽神社神主・馬来田善包らにより継体天皇御世系碑が足羽神社境内に建立されている。この碑文には、大秀の研究による応神天皇から継体天皇までの系図が彫り込まれている。

これには「玉穂宮天皇大御世系」とあり、その下に「品陀和気命(御諡 応人天皇) ─ 若沼毛二俣王 ─ 大郎子(亦名 意本杼王) ─ 宇斐王 ─ 汙斯王(書記云 彦主人王)─ 袁本杼命(書記云 更名 彦太尊 御諡 継体天皇)」と彫り込まれている。

また足羽神社の近くにある足羽山公園には継体天皇を模した巨大な石像が三国を見下ろすように建っており、観光スポットとなっている。